統合失調症の4つのステージと私の体験談

統合失調症には4つのステージがあるよ

統合失調症には前兆期、急性期、休息期、回復期の4つのステージがあります。

陽性症状(本来ないものがある症状)が強く現れる症状と陰性症状(本来あるものがない症状)がそれぞれ強く現れます。統合失調症と付き合ううえで自分がどのステージなのか確認することは病気を受け入れる大きな一歩です。

<前兆期>発症の前触れのサインが現れる
発症の前触れのような変化がみられることがあります。眠れなくなったり、物音や光に敏感になったり、あせりの気持ちが強くなったりします。これらは誰もがよく経験することです。その為、本人も周りの人も気づかないケースが多くあります。

<急性期>幻覚や妄想などの陽性症状が目立つ
前兆期に続いて現れるのが急性期です。不安や緊張感、敏感さが極度に強まり、幻覚、妄想、興奮といった統合失調症特有の陽性症状が目立ちます。幻覚や妄想に襲われて頭の中が混乱し、周囲とのコミュニケーションがうまくとれなくなります。

<休息期>感情の平板化や意欲の低下がみられる
嵐のような急性期が過ぎると、感情の起伏がとぼしくなり、無気力で何もしなくなるなどの陰性症状が中心の休息期に入ります。いつも寝ていたり、引きこもったりします。この時期は不安定な精神状態にあり、ちょっとした刺激が誘因となって、急性期に逆戻りしやすい時期でもあります。

<回復期>徐々に症状が治まるが、認知機能障害が現れることも
症状が徐々に治まり、無気力な状態から脱していきます。ただし、この時期には認知機能障害が現れることがあり、その後の生活上の障害や社会性の低下へとつながっていく場合があります。

引用(出典元・統合失調症ナビ https://www.mental-navi.net/togoshicchosho/understand/stage/)

この四つのステージを頭に入れたうえで私の場合の統合失調症の4つのステージの体験談を紹介します。

【前兆期】強いストレスに前兆に全く気付かなかった

僕の場合、前兆期では強い興奮状態になり誇大妄想がでてきました。また、夜も眠れなくなり極度のストレス状態になりました。感情のコントロールができなくなり日常生活ができなくなったのです。ただ、この直後に入院したため初期治療をすぐ受けることができました。

私の前兆期の症状

  • 誇大妄想が出る。自分が全知全能だと妄想が出てくる
  • 全く眠らなくても大丈夫だと思うようになる
  • 思考が次々に浮かび止まらなくなる

がじゃ先生
この前兆期でどれだけ初期治療を早くできるかがその後の予後を左右するよ

【急性期】繰り返す妄想と暴れまくった急性期

私の急性期の症状

  • 被害妄想が出るたびに保護室に入る
  • 被害妄想は病院と世の中(テレビや新聞)に監視されていると思い込む
  • 保護室に入ったら暴れる

当時、高校生だった私は急性期に即、精神科に入院して被害妄想がでる度に保護室(隔離室)に入りました。

保護室はトイレと布団以外何もない檻の付いた部屋です。当時は牢獄にしか思えませんでしたが今思うと外部との刺激を一切遮断する意味で保護された空間だったと言えますね。私は投薬治療をしながらこの初めての入院で3回保護室に入りました。その度に強い妄想と情緒の不安定が見られたためです。

保護室に入るたびに暴れまくりましたね。

さすがに孤独の何もない空間にいるのは苦痛ですから。

 

妄想も強くて、なんと説明したらいいんですかね…。

こう、何気なくテレビとか見るじゃないですか。

そしたら自分の情報とテレビで言ってる内容が少しでも類似性があったら自分のことを言ってると思うのですよ。

一度そう思い込むとその考えの連続なんです。自分の名前や学校、趣味に関わるワードを見つけると「自分の事を言ってるに違いない」という妄想が出てそれが確信とういうか自分の中で事実や証拠になっていくのです。

一般的に集団ストーカーという単語をネットで出回っていますが、私は統合失調症を経験したからわかるので断定できるのですが確実に被害妄想です。

ただ、この妄想という症状は私がそうであったように苦しんでいる本人にとってはもう事実なのです。

これを妄想だと自覚するのはかなり難しいでしょう。

なので、私は「それは被害妄想だ」とは指摘しないし「糖質」「集スト」と陰で面白おかしく言ってる人を批判する気もありません。

私が自分の経験で訴えたいのは「そのような方はとても苦しんでいる」という事実だけです。

私も妄想で壮絶な苦しい経験をこの時しましたから、

【休息期】時間だけが経過した休息期

私の休息期は単純に無為と自閉の繰り返しでした。

何もやる気も起きないしずっと自分だけの世界にいる。

4~5年でしょうか。ずっと実家の自分の部屋にいました。

やったことはひとつだけで親が毎月病院に連れて行ったこと。

病院では当時の先生が「今は休む時なので根気強く待ちましょう」と言ってたのが印象に残っています。

その時、私は何は思っていたかですが、何も考えていませんでした。

 

とにかく無気力で時間だけが過ぎていました。

【回復期】社会への繋がりと共に劇的に回復した

休息期に終わりが見えてきたのか私は徐々に何かがしたい気持ちになってきました。

両親はどこでもいいから自分の人生の為に学校に行きなさいと言ってきました。

ということで、私でも受かる大学にとりあえず行ってみたのです。

今思うとこれが回復期につながりましたね。

でも、この回復期が長いんですね。

人によって長さは異なるかもしれませんが。

 

回復期の中でもどこか現実感がないような気持ちはありました。

そして何より体が鉛のように重い。

おそらく向精神薬の副作用なのですが。

こればっかりは事実上、今も回復期なので治りませんね。

 

そして抑うつです。

私は、回復期に抑うつが強く残りました。

それまではあまり強くなかった希死念慮も強く出てます。

それは今も変わりありません。

 

 

 

療養を続けるとこのような生活を続けていると、どこかで意欲が湧くタイミングがあります。

これがスタート地点だと思ってもらって構わないでしょう。

そこから社会参画を少しづつしていくのです。

この病気は人によって経過が本当に違うので参考になるかわからないですが、自分の体験談として今回紹介しました。

それが良いことなのかどうなのかわかりませんが、私は同じような苦しみを持ってる人に少しでもお役に立てればと思っています。

この記事のライター <<がじゃまる>>

≪がじゃらぼ≫の執筆・運営をしている、WEBライターの”がじゃまる”と申します。高校時代に両親や友達との葛藤で統合失調症を発症。16歳の春にストレートで隔離室へ。紆余曲折を経て病気を抱えながら大学へなんとか入学・卒業。抑うつと希死念慮を抱えながら商社での一般企業オープン雇用(2014.11~)と結婚(2015.7~)をもとに、精神疾患の悩みや共感をお伝えしてます。

Twitterはこちら>>> @gajamarudesu
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