統合失調症の急性期の体験談について語ります

先日、ふと統合失調症の急性期について話題になったので、20年以上も前だけど、そう言えば自分も急性期があったなぁ……と振り返る機会があったので今回は私の急性期の経緯についてちょっと語ります。今でこそ自分のペースで働いて、結婚もしましたが正直言って結婚願望なんて全くなかったし10年後20年後なにをしているかなんかわからなかったわけですから。

 

よく発病前は将来の自分はどうなっているか想像したり発病後も自分はどうなるんだろうとか思ってましたが…まだまだ人生において未熟者ですがふと、自分を振り返る時があります。

 

今考えても訳の分からない前兆期

 

高校1年生の春休みでしょうか。

本屋さんで一冊の本を見つけて興味本位で買ってみたんです。

当時私は厳格な父のもと私立の進学校、それこそ全国の誰でも名前の聞いたことのあるような高校にいました。しかしそこは賢い人ばかり集まる場所ですから、僕のような目標もなくやる気を失った生徒は当然落ちこぼれになるわけです。

僕は典型的なエリートからの落第者でした。

 

学校の先生も両親もとても厳格だったので当時はとても叱られていました。

高校1年生の冬頃でしょうか。

このままではいけないと一念発起した僕は心を入れ替えて勉強したんですよ。

 

そしたら自分でも予想しない成績のうなぎ上り。

なんか、嬉しくてそれが。

自分が認められた気がして嬉しくてたまらなかった。

 

成績が上がるためにはとにかく時間が必要だった

 

でも、巻き返しを図るには時間がとにかく足りなかった。

そこで冒頭の本に出会ったんだよね。

 

その本の内容は…詳しく覚えてないけど確か「瞑想とか睡眠法」の本だった。

その本には瞑想を習得したら睡眠すら要らないって確かかいてあったんだよね。

 

「これだ!」

とその時に思ったんだよね。

「睡眠なんて無駄だ!その時間を勉強に充てればいいじゃないか」

 

すでにこの考え方自体がヤバイのでおそらくこの頃から前兆期は始まったんでしょうね。

僕はその日から本に書いてある瞑想をして眠らず夜通し勉強しました。

 

そしたらね、なにが起きたかって言うと全く勉強できずに考え事がどんどん頭に浮かぶようになったんだよね。

 

自分の中で決定的だったのは当時流行っていたアニメのドラゴンボールを見て

「主人公の息子の悟飯が父親である悟空を超えて敵を倒してる。つまり生物において父親を超えることが使命なんだ!!!」

 

……。意味不明ですね。まあどう考えてもこれは妄想ですね。

しかし、当時の僕にとってはこれは与えられた使命のように感じました。

よくニュースで「〇〇などとわけのわからない証言をしており」というのはこういう妄想だと私は思います。それを肯定したり非難したりはしませんが、本人にとってはそれがもう何より大切な一大事なんです。

 

この時はすでに急性期に入っていたと思います。

この後、私は床屋に行き人生で初めて坊主にしました。

理由は髪は効率的に不必要だと思ったからです。

 

病院に運ばれる前夜に体に異常が出た

 

そして、僕は再び勉強に取り掛かりました。

そしたら、手が突然震えだしました。

それは普通ではない状態で。

 

体験したことがない手の震えに泣き叫び僕は両親に助けを求めました。

その後、泣き叫び興奮状態が続いた後に私は両親と精神科に行きました。

 

診断の結果、閉鎖病棟の保護室(隔離室)にそのまま入りました。

 

こんな感じだっただったかな、ちょっと省略してるけど。

僕が珍しいと言われるのはこの急性期を明確に覚えてることなんだよね。

それは本当に理由はわからないな。

統合失調症の症状や発症は人それぞれだと思うけど、とりあえず僕の急性期の体験談はこんな感じで。

この記事のライター <<がじゃまる>>

≪がじゃらぼ≫の執筆・運営をしている、WEBライターの”がじゃまる”と申します。高校時代に両親や友達との葛藤で統合失調症を発症。16歳の春にストレートで隔離室へ。紆余曲折を経て病気を抱えながら大学へなんとか入学・卒業。抑うつと希死念慮を抱えながら商社での一般企業オープン雇用(2014.11~)と結婚(2015.7~)をもとに、精神疾患の悩みや共感をお伝えしてます。

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