自分は自分、他人を他人について考える

みなさんどうも、がじゃまるです。

今回は、周りの人に病気の悩みを相談した時だけでなく、日常の全ての人に当てはまる話題「自分は自分、他人は他人」について考えます。

この言葉は家族や周りの人に悩みを相談をした際のアドバイスの中の一つとしてよく出る言葉ではないでしょうか。「うちはうち、よそはよそ」と言い方もあると思います。

今を生きる人の多くが思っている感情である


これは精神病だけじゃなく、色々なシーンで使われているのですが、今回は精神病の人が悩みや辛さを相談した時にアドバイスされる言葉を想定して考えます。よく使われてる、ありえるシーンを想定します。

まず一番は「病気を持ってる自分と、特定の個人もしくは広い枠組みで周りの人と比較した」でしょう。

これを具体的に考えると「自分と他人を比べて悩む」ということだと思います。

自分と同じ世代の人はもうこの年齢で子供ができたり、家を建てたりしている。自分が嫌な感情を持ってる人が、幸せそうにしていると妬みと同時に虚しくなる。人の不幸を見ると、嬉しくなってしまう。

私はこのような事例を考えます。というのも私もこの考え方を思っていた一人だからです。とても妬ましいでした。

「病気さえなければ自分も……」と考えると、とても自分が嫌な感情、自己嫌悪に陥りました。同学年の人はもう仕事も順調で人生も謳歌して子供まで出来て家も建てて……でも自分は病気だから毎日を生きるのが精一杯で……こんなはずじゃなかったのに、病気さえしなければ……。

病気が絡むと陥りやすい罠


精神病が絡むとこの問題は非常に複雑になります。「病気を持っていたら出来ないこと」も事実としてあるのですから。その出来ないことがハードル(障壁)であり、出来ない自分を悲観してしまいます。

“たられば”で「もし病気になってなければ……」という悔しい歯痒い思いになります。私もその一人です。悔しくて悔しくて仕方なく挫折して自暴自棄に何度もなりました。

そのような状況で周りの人に「自分は自分、他人は他人」という考え方を提示されると

「……そんなのわかってるねん。でも割り切れないんだよ周りの人と!」と困ってしまいませんか? 病気さえなければ……という感情が芽生え、これが自己嫌悪とともに悪い感情になる。こうなってくるともう社会でさえ疎ましくなってきました。私の場合はそうでした。

「周りの人と比較する」とは


ではこの「周りの人と比較する」ことについて考えてみます。私は考えるのですがこれはとても普通の事だと思うんですよね。この人は自分より凄い、幸せそうだと思ったら妬ましく、この人は自分よりダメだと下に思う。いわゆる劣等感と優越感です。

この比較をするという考えは人として自然だと思うのです。だから人と比べようとする感情自体は構わないと思います。なぜなら比較するしか自分より上なのか下なのか自分を判断できません。それで自分の位置や状況を確認しているのですから。これは自己評価する上で他人をものさしに使った自分の評価を自分でしているのです。では今度は「自分は自分」を掘り下げてみましょう。

「自分は自分」というのは、「自分のことは自分だけが理解している」という自我の確認していることだと僕は思うのです。自分の幸せや楽しみは自分は理解できますし、辛さや苦しさ、極限までいくと辛すぎて死にたい……という感情も自分は言葉でも説明は出来なくても体感でわかります。

なぜなら自分の一番の理解者は自分だからです。しかし、自分の評価は自分で出来たとしても、周りはあなたをどう評価しているのでしょうか。

他人は、例えばあなたの事をいい人だと評価して、一方で他の人はあなたを頑張ってると認めてる人もいるでしょう。そして人によってはあなたをダメだ、嫌いだと思ってることも必ず生きていればありえます。

つまり、周りの人に存在するあなたは「周りの人、それぞれ個人の視点であなた」で各々存在しているのです。だからこそ本当の自分は自分しかわからないのは当たり前のことなのです。これは一つの大きな事実を語ってます。

何かと言うと、同じように他人にも、他人の自己評価と他己評価があるのです。だから自分だけがそのような感情を抱いているだけではなく、他人は他人でこの本当の他人における自分を理解して生活しているのです。

つまり、私たちも「他人の表面的なことだけ」で他人を評価して判断しているのです。他人の全てを知ってたり理解しているわけではないのです。

これはすなわち「自己理解と他己理解は一致しない」ということです。自分が「そんなこと言ってるけど、自分も◯◯で苦しんで頑張ってるのに全然理解してないじゃん」というのは周りの人も同じことを考えているのです。

目に見える幸せ


また、周りの人の幸せについて考えましょう。周りの人の幸せそうに見えるのも当然のことですが、氷山の一角にすぎないのです。

幸せそうだと氷山の見えるとこだけ見て、海の中に隠れてるその人の苦労や努力は見えていないのです。ただ、表面的に切り取った幸せなことだけを自分と比べて劣等感を感じているのです。

とくに特定のSNSだと例えばインスタグラムやFaceBookだとその切り取った幸せだけを見て「幸せそうでいいなぁ」と思ってしまうのです。だから好きな人であろうが嫌いな人であろうがその「幸せ」や「不幸せ」を瞬間的に切り取って見ても相手の深いところまでは見えていないのです。

そこで、私の考えとしては「周りの人・他人の幸せや不幸に一喜一憂する人生には疲れませんか?」ということです。

SNS疲れの原因のひとつだとも思います。それよりも自分の幸せや不幸な気持ちを自分でちゃんと確認して、他人の幸せを喜び、他人の不幸を偲ぶほうが生きやすくありませんか?というのはどうでしょうか?

例えば自分が嫌いな人が見えない苦労と努力をして幸せになっていく度に、自分が辛くなっていくことや、相手が頑張って結果を出せば出すほど自分がイライラしてくる。

これは自分の状態が「比較する相手が頑張れば頑張るほどこちらが不幸になっていく」という状態です。つまり相手の幸・不幸に依存しているのです。自分の負の思いが他人にコントロールされている状態だと思うのです。

これが自分は自分、他人は他人を根本的に私なりに考察したもです。ただ、誤解のないようにいいますが、人は時として、またどうしようもなく他人と比較することでしか自己評価できないという瞬間やそういう気質の人も当然存在しているかと思います。

私はその考えが自分のポリシーであるならば構わないと思います。これはあくまで私のこの「自分は自分、他人は他人」という考えにどうアプローチすれば生き辛さが少なくなるという提案にすぎません。

この記事を読んで、どう考えるのもあなたの自由です。ただ私が言いたいのはこの考え方では生き辛くありませんか?ということです。なので考え方自体はあなたの考えを尊重した上でこの記事をご理解ください。

今より幸せになるために


それよりも、他人が幸せであれば「自分もこういう風になりたい」「見えないところで苦労してるかもしれない、自分も頑張ろう」と自分のモチベーションや目標にした方が幸せではないでようか?

なぜなら自分の人生の主役はあなたであり、周りの人は自分の人生においては脇役でしかありません。あなたが自分自身の人生を自分で切り開けていけたらどんなに素晴らしいことでしょうか。

また、比較対象を過去の自分と今、未来の自分と比較するのも良いかもしれません。陸上選手などプロスポーツのトップアスリートは練習は孤独で常に過去の自分と向き合って闘っています。

「過去の自分が幸せだった、不幸だった」と過去に固執したら、では今の自分はどうなのか。そして未来の自分はどうなりたいのか。そのことを考える余裕がなくなります。

過去の自分に向き合うことができなかったり、今の自分を受け入れられなかったり、人によっては諦めてしまうかもしれません。

でも過去も今も未来も自分と向き合わないと人は何も変わらないどころか成長できません。

あなたの考え方ひとつであなたの人生も変わるかもしれません。この記事を読むことで、今一度あなたの考えや傾向を探り、より生きやすくなるようにしてみてはいかがでしょうか?

私はそれは「生き辛さ」を減らしていく1つのステップだと思うのです。是非、御一考をオススメいたします。

この記事のライター <<がじゃまる>>

≪がじゃらぼ≫の執筆・運営をしている、WEBライターの”がじゃまる”と申します。高校時代に両親や友達との葛藤で統合失調症を発症。16歳の春にストレートで隔離室へ。紆余曲折を経て病気を抱えながら大学へなんとか入学・卒業。抑うつと希死念慮を抱えながら商社での一般企業オープン雇用(2014.11~)と結婚(2015.7~)をもとに、精神疾患の悩みや共感をお伝えしてます。

Twitterはこちら>>> @gajamarudesu

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