生きる意味はそもそもないから自分で作るしかないよ

常につきまとう「生きる意味とは何か」に苦悩してる皆さんに送る考え方とは

みなさん、いかがおすごしですか。

体調が良い人、悪い人。気分が良くない人。

今日は気分いいなぁという人も、様々いると思います。

天気によってとか、眠れなくてとか自分以外の理由で体調って変化しますよね。

本日、お話したいのは統合失調症に限らず、人生を悩みに悩める人たちが最後に行きつく終着駅。

生きる意味とは何か?

生きる意味とは何かを考える場合は多くの場合、辛かったり、泣く元気もなかったり、何も考えたくなかったり、考える余裕もなかったりだと思います。生きる意味以外にも

「自分は生きる価値がないのではないか」
「人生の目的とは何か」
「生きる生きがいがない」
「生きていても楽しくない」

ここら辺に生きている苦悩は、落ち着くと思います。

私なりの考え方としてこの生きる意味を語ります。

結論から言います

ずばり生きる意味は「特にありません」

これに関しては「生きる意味」には色々な考え方があると思いますが、私なりの解釈だと考えてください。

生きる意味を追い求めるのもまた、良い生き方だと私は思っているので。

そもそも生きがい、生きる意味はある種「自分で作る」しかありません。

それが子どもだったり、趣味だったり、アイドルやスターだったりそれは自分にとってかけがいのない存在で、そのことで笑ったり泣いたりができれば、それが生きる意味でもあるし、自分にとって大切なものであると思うのです。

それが宗教でもスポーツでも政治でも自分が嬉しくなったり悲しくなったものを無意識に自分の生きがい、自分の生きる意味とみなしていると私は思うのです。

「生きる意味」これは実は考えれば考えるほどノイローゼになる悩みです。

では、違う視点から見てみましょう

なぜ自分は『生きる意味』についてこんなに苦悩してるのか

このことに関してはあなたは考えてみたことがありましたか?

これはつまり「生きる意味を考えること」に意味があり、「なぜ『 生きる意味』を考えるか」は自分とって大した問題ではないからなのです。

そしてこの「なぜ『 生きる意味』を考えるか」がポイントとなってきます。

話を変えますが、私からこれをなくしたら、生きていけないというものを見つけられた人はある意味、生きる意味を意識的に無意識に見つけた幸運な人だと解釈したらいかがでしょうか。

だからそのような人は「生きる意味を自分で作れた人たち」だと私は思うのです。ただし、それは自分で「生きる意味」を作ったのであって本質は生きる意味ではないのかと私は思います。

空のコップに例えてみると

つまりこの考え方では生きる意味を持っている人たちは、中に入れる好きな液体の種類を自分自身で定義できた人たちなのです。

子供の笑顔が私の生きがいだ。この人の歌が私の癒やしだ。このスポーツチームを応援するのは楽しい。

だからこそ、どの液体を入れるか定義してない人にとってはそれはどれだけ苦悩してもコップは満たされないのです。

だから私は生きる意味は、はなから存在しないと思うのです。

あくまで自分自身で定義するものだと。むしろ「生きる意味」を考えている時あなたは崖っぷちの状態です。そちらに注意を傾けましょう。

そしてこれを考えてる時は視野が狭く、誰かに相談してもどれだけ考えても「でも、だけど、どうせ」とネガティブな感情しかなかなか生まれません。

それもそのはずで自分で定義できていないのですから当然です。

なかなか生きる意味を見い出せません。ではどうしたらこの苦しみから逃れられるのでしょうか。

 

この記事のライター <<がじゃまる>>

≪がじゃらぼ≫の執筆・運営をしている、WEBライターの”がじゃまる”と申します。高校時代に両親や友達との葛藤で統合失調症を発症。16歳の春にストレートで隔離室へ。紆余曲折を経て病気を抱えながら大学へなんとか入学・卒業。抑うつと希死念慮を抱えながら商社での一般企業オープン雇用(2014.11~)と結婚(2015.7~)をもとに、精神疾患の悩みや共感をお伝えしてます。

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