初めての精神科入院生活

どうも、がじゃまるです。

今回は僕の初めての入院生活の話です。16才で統合失調症を発症した僕は精神科に強制入院して保護室の生活から始まりました。その後の病棟での生活、保護室と病棟を行ったり来たりの生活を繰り返し退院するまでをまとめました。

1.待機入院、保護室と大部屋

1.保護室での体験

大学病院に診察に行った僕は、何もわからぬまま街外れの精神科の病院にタクシーで向かいました。大学病院が満床だったための待機入院だったらしいです。その病院は、どちらかというと長期入院の患者さんが多い病院。そこの保護室にいきなり入ったわけですからもうパニックです。

保護室とは個室の檻のついた布団とトイレ以外何もない部屋です。保護室に初めて入った僕の感想は「これで明日に高校には行かなくていいんだ」という安心感でした。しかし時間がたちその安心感も消えて行きました。ただ流れる時間の中でこのままこの病院で一生暮らすのではないか」という不安感が大きくなっていきました。窓からは他の患者さんが集団で散歩をしてる光景がたまに見えました。「これからの僕はここで暮らすんだ」という恐怖感に襲われます。そして、独房のような空間で一人きりです。泣き叫び壁を蹴って暴れました。「この部屋から出して!」というので必死でした。でも何も起こりません。看護師さんは規則正しくご飯を用意して薬を渡すのを繰り返します。

がじゃ
なにもわからないまま保護室に入ったらそらそうなるわ

2.保護室から出て待っていたのは

がじゃ
精神科の中ってこうなってるのかよ…
がじゃ先生
初めて精神科の閉鎖病棟に入院したらまずびっくりするよね

もう、何もかもだめだと思いかけていたら、「落ち着いて来たのでここを出て大部屋に行こう」と言われました。「やっとここから出られる」という嬉しさに僕は大部屋に移動しました。当時の僕は理解してませんでしたが、長い入院生活がそこから始まっていたのです。

保護室から出て大部屋に行った僕は愕然としました。そこは重度の、なかなか精神科から出られない患者さんたちがいました。奇声をあげる人、暴れる人、無気力な人…こんな世界があるのかとショックを受けました。ここでの待機入院は2週間ほどでしたが、色んな人がいました。印象に残ってるのはとても治療するような空間ではなかったというのがだいたいです。ここでの待機入院をおえた僕は大学病院へ移動になります。

2.大学病院に入院もまたしても保護室へ

大学病院に移った僕ですが、待機入院の病院と大学病院のギャップに驚きました。静かだし看護師さんと医師は多いし何より病棟がとてもきれい。

大学病院は環境としてとても良いでした。入院生活もなんとかなるだろう。すぐに退院できるだろうと思いながら日々を過ごしていました。しかし、この焦燥感が徐々に膨れ上がって行きます。しばらく待っても全く退院できないので退院したいと強く主張した僕は極度の興奮状態になりました。ここでちゃんと説明が欲しかったのですが、この状態になったら手がつけられないのでしょう。僕は大学病院でもまた保護室へと移動になりました。

3.保護室と大部屋を行ったりきたり

がじゃ
保護室に慣れたら出るコツとかもうわかってきちゃった

保護室はいわば外部とのストレスを遮断する空間です。僕にはとてもストレスな部屋でした。保護室でどれだけ暴れても何も起こりません。何もわからない僕は保護室で暴れて倒れて、起きたら暴れる生活を繰り返しました。そこで学んだのは暴れても何も意味がないということです。保護室から出ると時間制限の段階的に大部屋に行けます。完全に大部屋に行くのに1ヶ月はかかるでしょう。大部屋に完全に移動になっても僕は保護室との行ったりきたりを繰り返しました。大学病院で3回保護室に入ったのを覚えています。もう最後らへんは保護室から出るコツとか覚え出しました。黙って耐えればいいのです。

なぜ、保護室に移動になるかというと毎回、焦燥感でした。どれだけ退院できるか医師に聞いても「まだ退院は早い」としか言われません。僕は高校を留年することをとても恐れていました。

4.そして退院へ

入院生活が半年を過ぎて冬になるとある日、退院が告げられました。僕はとても静かになったからです。なぜ、静かになったのか。簡単です、留年が確定したからです。諦めがついたからです。もうどうにでもなれと思ったら退院になりました。

あまり嬉しくなかったかな。複雑な気持ちでした。退院の時はもう二度と入院したくないという思いで退院しました。その時もう11月、家に帰っても薬がきつく生きた心地さえしませんでした。

がじゃ
これから人生どうなるんだろう…ひらすら不安が続くよ

この記事のライター <<がじゃまる>>

≪がじゃらぼ≫の執筆・運営をしている、WEBライターの”がじゃまる”と申します。高校時代に両親や友達との葛藤で統合失調症を発症。16歳の春にストレートで隔離室へ。紆余曲折を経て病気を抱えながら大学へなんとか入学・卒業。抑うつと希死念慮を抱えながら商社での一般企業オープン雇用(2014.11~)と結婚(2015.7~)をもとに、精神疾患の悩みや共感をお伝えしてます。

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