保護室を出て待機入院した精神科の閉鎖病棟の体験談

みなさんは精神科の病院ってどんなイメージがありますか。

正直、私は発病前までは自分には関係のない場所…くらいしか印象がなかったですね。

 

当時、映画で『リング/らせん』が流行っていたのでそれで見た印象くらいかな?

明るい部屋で目的もなく無気力な人がウロウロ歩いているみたいな。

 

これが半分は合ってるんですけど、だいぶ違うんですよね。

私は精神科病棟に3カ所入院したんですけど感想としては3つとも全て雰囲気が違いましたね。

 

  1. 待機入院の為の閉鎖病棟
  2. 大学病院の閉鎖病棟
  3. 療養の為に入院した開放病棟

 

これらで病院の方向性や医師や看護師のレベルが全く違ったと言えます。

 

今回紹介するのは私が初めて入院した病院。

それは大学病院で治療するための2週間ほど待機した病院です。

ここは後に待機する為にもう一度入院してます。

 

保護室を経て精神科の閉鎖病棟の大部屋に移動した

私は高校生の時に大きな不安感から統合失調症を発症しました。

大学病院で初診を受けて即時に入院が必要でしたがベッドが空いておらず待機入院の為に大学病院と連携してる精神科病院に入院しました。

もちろん興奮状態だった私は保護室に直行です。

この保護室での経験はこちらで紹介してます。

CHECK!!

初めての精神科の閉鎖病棟の保護室での体験談

保護室でしばらく落ち着いてきた私は大部屋に移ろうと言われて、保護室から出してもらいました。

 

圧倒的な開放感!

今まで誰とも喋らずに独房みたいな部屋にずっといたわけですからね…。

 

大部屋は縦に長く男性のみの病棟でナースステーションの前に二重の鍵がかかっています。

なのでこのフロアのみで生活をし続けることになります。

 

初めて大部屋を見た印象は「僕の住んでる近くにこんな場所があるんだ…」でした。

私はまだこの頃、病識というのが全くありませんでした。

 

年齢は年配の方が多かったでしょうか。

若い人は少しだけちらほらいたような気がします。

 

部屋の端には喫煙席があり何人もの人がたむろしていました。

今だからわかりますが、この病院は完全に慢性化した精神疾患の方が長期入院する病院でした。

 

スティックシュガーのオジサン

初めて出された病院食は普通にまずいくらいの味。

しかしデザートに出されたみかんが奪い合いになり乱闘状態になってました。

おいおい大丈夫かよ。

 

その後、看護師に自分のベッドとコインロッカーの説明を受けます。

「コインロッカーには貴重品を入れてね。あとインスタントコーヒーと砂糖は盗まれるから入れといてね」

 

財布とかならまだしも砂糖盗まれるとか戦時中かよ…と思いながら。

特にやることもないし、気力もないので食堂でボーッとしてたら妙にテンションの高いオジサンに声をかけられました。

 

「よう、新入りさん!元気してる。ほら、これあげるから仲良くなろうぜ!」

と渡されたのは一本のスティックシュガー。

「コーヒーでも飲むんですか?」

するとオジサンは「違うよこれはこうすると最高なんだよ!」とスティックシュガーを開けて上を向いて口を開けて一気に流し込みました。

「(これはヤベェ……)」

ニコニコするオジサンにお礼を言ってちょっと避難しようとトイレに向かいました。

 

トイレのシステムがおかしい気がする

トイレは見た目は普通のトイレでした。

男性用の小便器とボックスに別れたトイレでして。

でも大きい方のトイレが違和感があったんですよね。

ってのもね。

鍵がついてない!

 

ここの病院は大きい方のトイレの個室に鍵がないんです。

いくら男性しかいないフロアとは言えありえないですよね。

じゃあ先に入ってる人がいる状態で次の人がドアを開けたらどうなるかとういうと

「あ、ごめんね」

これでOKなんです。

ちょっと酷すぎる……。

セキュリティや安全配慮とか意味はありそうなんですけどね。

僕はいまだに公の場所で鍵がないトイレはここだけしか知りません。

なのでトイレを使うときは座りながらドアを掴んでいました。

面倒くせぇ……。

 

おやつの配給があります(患者はみな成人男性です)

3時になると患者さんがソワソワしだして食堂に集まっています。

看護師さんに聞けばおやつの配布がはじまるとのこと。

確かに、この病院にはおやつを買えるような売店はありません。

なにせ人里離れた山の中に隔離された病院ですから。

 

僕も入院前に母が間食用のおかしを買い置きしてくれてました。

しかし初めての入院ですからどんなものを持っていけばよいかわからずカロリーメイトとかでしたが。

食堂では時間になると看護師が順に大きなトレイから個人の名前のついた袋を取り出しおやつを配っていきます。

 

トレイのある配膳場の前は大行列です。

「○○さんの、チョコパイは1日1個だからはい!これね」

 

……。

患者さんは成人男性というかもう50代とかの人が多いでしたから見ていて違和感しかありませんでした。

しかし、この病院では出される病院食以外はインスタントコーヒー飲むしかないし、その病院食も美味しくないし、そんなんやったらおやつくらししか楽しみないよなと。

あと、自分でおやつをコントロール出来なくなったら糖分の取りすぎが健康上リスクとして高いから措置としては適切なんだろうなって。

まぁだからスティックシュガー直接飲むオジサンとか出てくんだろうな。

そんなこんなで待期期間の2週間が過ぎた

でも、接してる人は僕が見る限り悪意があったりそんな人は少なかった。

とても友好的で話しかけたり笑顔でいたり、少し子供っぽいなと思う部分もあったけど今考えたら本当に慢性的な患者さんが多かったのかもしれないけど、あの空間をひとつの世界として生きていた気がします。

それでも閉塞感や苦しさは多分にあったとおもうけど。

 

僕は、この後の6年後に待機入院としてまたこの病院に2週間だけ入院しました。

メンバーは半分ぐらい同じでした。

当然私のことは覚えていません。

スティックシュガーのおじさんはまた僕にスティックシュガーは相変わらず僕を歓迎してくれてスティックシュガーをまたくれました。

 

このような病院が全てとは言いませんが私が初めて入院した病院はこんな感じでした。

医者なんてまるで病棟の中にいないし問診も1週間に1回あるかないか。

看護師はナース服じゃなくてジャージ。

女性よりもむしろ力の強そうな男性の看護師さん。

そんなとこかな。

 

保護室にいた頃、この病院で自分は一生過ごすかもしれない恐怖を感じた頃に比べるとこの病院を去る時は何か寂しさも感じた気がします。

以上が私が初めて入院した慢性的な患者さんが多くいる精神科閉鎖病棟でした。

この記事のライター <<がじゃまる>>

≪がじゃらぼ≫の執筆・運営をしている、WEBライターの”がじゃまる”と申します。高校時代に両親や友達との葛藤で統合失調症を発症。16歳の春にストレートで隔離室へ。紆余曲折を経て病気を抱えながら大学へなんとか入学・卒業。抑うつと希死念慮を抱えながら商社での一般企業オープン雇用(2014.11~)と結婚(2015.7~)をもとに、精神疾患の悩みや共感をお伝えしてます。

Twitterはこちら>>> @gajamarudesu
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