完璧を求めすぎると何もできなくなってしまうゾ

少し前になりますがスマートフォンのバーコード決済アプリでPayPayというアプリが多額の還元セールをして話題になりました。ここで質問なのですがあなたはPayPayをインストールしましたか?

私の知る限りインストールした人は一部の人で多くの人はスマホに入れてないと思うんですよね。だって、あまり知らない会社だし知らない技術だし、何よりこれで銀行の情報が流出したって噂も聞いたし…。わりと当然だと思うんですよ。

でも、それの根本にあるのは損をしたくない、もっと言うと失敗したくないからじゃないですか?

実はこの人間の失敗を恐れるあまり行動になかなか移れないのは完璧主義の特徴のひとつなんです。何事も完璧にしないと気が済まないだからだったりします。

いわゆる人に自分の理想を押し付けたり、自分に厳しかったりというのは説明するまでもなく完璧主義というものなのです。

完璧主義は簡単に辞められないなら気づけばいい!

しかし、完璧主義というのはそう簡単に変えられるものではありません。人間が長年こびりついた考え方を簡単に変えられるわけがないのです。

あなたが完璧でありたいと望むのはあなた自身を守る本能的なものであり、そこに生き辛さがあってもあなたは完璧主義で悩む必要はないと私は思うのです。安易に考え方(認知)を変えよう!と言う人は僕はあまり信頼ができません。何度も言いますが認知は簡単には変えられないものだからです。

で、あれば。完璧主義である考え方に気づけば十分なのではないかと私は思うんですよね。自分が仕事か何か、例えば料理とかでもいいです。完全なものでないと許せないと思った時「あ、これは完璧主義だ!」と。

そしたら少しでも自分の考え方が偏っているなと気づくはずなんです。この気づくだけってのを毎回繰り返し認めることがまず第一歩なのではないでしょうか。

完璧主義は気づくだけで充分

そんなこと言っても、自分で気づかないこともあるし、気づいたとしても自分を変えることはできないというのも十分わかります。私も完璧主義だったし、今でもその傾向があるから、なにか違和感のあるような辛さもわかります。でも、例えばわかりやすい具体例を出しましょう。あなたが読んでいるこのブログ(がじゃらぼ)は全く完全なものではありません。恥ずかしい文章ですし、内容も誤字脱字どころか構成も正直めちゃくちゃです。

でも、私はとりあえずやってみるという思いで行動しました。例え未完成なものでもやってみよう。完璧な文章やブログを追い求めたら一生伝えたいことを伝えられないと思ったからです。

だからこそ、気づくだけで充分なのだ

私もこのブログをできたのもそういう完璧主義を治すのではなく「完全に作らないといけないわけではない!」と気づいて行動に移せたからです。だから気づくだけで充分なのです。失敗を受け入れた上で行動をしているのです。そして続けていく中で自分の理想に近づければいいだけなのです。

また、完璧主義をなくしたい!という人はむしろ、完璧主義を完全になくそうとしていること自体が完璧主義そのものであることに気づかなくてはいけません。

この完璧主義というのは「自分は優れた存在でなければ愛されない」という恐怖感から生まれます。でもそれは自分の行動の可能性を自ら鎖で縛っているのです。

だからこそ、まずはその考え方に気づくことから始めましょう。それからでいいのです。完璧主義に気づいて少しづつ生き辛さを減らして生きやすくしていきましょう。

この記事のライター <<がじゃまる>>

≪がじゃらぼ≫の執筆・運営をしている、WEBライターの”がじゃまる”と申します。高校時代に両親や友達との葛藤で統合失調症を発症。16歳の春にストレートで隔離室へ。紆余曲折を経て病気を抱えながら大学へなんとか入学・卒業。抑うつと希死念慮を抱えながら商社での一般企業オープン雇用(2014.11~)と結婚(2015.7~)をもとに、精神疾患の悩みや共感をお伝えしてます。

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